さとうきび畑の唄 「ざわわ」歌詞の意味 実話をもとにした歌?寺島尚彦氏が歌に込めた想いは?

沖縄の歴史

”ざわわ ざわわ ざわわ”

このとても印象的なフレーズで始まる楽曲「さとうきび畑の唄」。

これのフレーズは、さとうきび畑をわたる風の音と沖縄戦で亡くなった人々の咽び泣く声を表すために、

歌を作詞作曲した寺島尚彦さんが考えだした言葉です。

この記事では、「ざわわ」に込められた意味、

「さとうきび畑の唄」の歌詞の背景にある歴史的事実、

歌詞に込められた作者の想いなどをまとめています。

ぜひ、最後までお読みください。

 

さとうきび畑の唄 「ざわわ」歌詞の意味は?

”ざわわ ざわわ ざわわ”

一度聞いたら覚えてしまう、この印象的なフレーズ。

「さとうきび畑の唄」の歌い出しですね。

私がこの歌を初めて聴いたのは、いつ、どこだったのか、実は全く覚えていません。

にも関わらず、「ざわわ ざわわ ざわわ」の歌詞だけは、いつの間にか覚えてました。

それほど、このフレーズは心に残るということでしょうね。

「ざわわ」という歌詞は、歌を作詞作曲した寺島尚彦さんが生み出しました。

思いつくまでに実に2年近くも試行錯誤したそうです。

ざわわに込められた意味

この歌を作詞作曲した寺島尚彦(1930 – 2004) さんは、34歳の時に初めて沖縄を訪れました。

その時に案内してくれた地元の人から、

「あなたが今、立っているさとうきび畑の下には、いまだに戦没者の遺骨が埋まっています」

と聞かされ衝撃を受けた寺島さん。

さとうきび畑を吹き抜ける風の音が、戦没者の怒りと悲しみの声のように聞こえたといいます。

平和への願いと戦没者の鎮魂の歌を作ろうと思い立ちましたが、戦没者の怒りと悲しみの声をどう表現するか悩んだそうです。

「ざわざわ」と表現するとなんとなくうるさい感じがするし、

「さわさわ」だと爽やかな感じになりすぎる…。

散々、試行錯誤した挙句にたどり着いたのが「ざわわ」というフレーズです。

さらに、このフレーズを全部で66回も繰り返すことで、感情に深みと広がりを持たせようとしました。

さとうきび畑の唄 歌詞は実話?

多くの人が「鉄の雨」に撃たれて亡くなっていった

「さとうきび畑の唄」は、戦争で亡くなってしまった父を恋しく思う少女の唄です。

この少女は、実在した特定の人物というわけではありません。

しかしこの唄の歌詞と同じような体験をした人は、実際にたくさんいたことでしょう。

”海の向こうからいくさがやってきて”

”鉄の雨にうたれ父は死んでいった”

”私の生まれた日にいくさの終わりがきた”

全部で11コーラスもある長い唄ですが、歌詞の前半はこのような感じです。

歌詞からは、少女がまだお母さんのお腹の中にいた時に、お父さんは亡くなったことがわかります。

私は、”鉄の雨にうたれて”という表現を聞いた時に、別の歌を思い出しました。

「艦砲ぬ喰ぇー残さー(かんぽうぬくぃーぬくさー)」という沖縄の民謡です。

この歌のタイトルは、米軍からの激しい攻撃で生き残った人たちのことを

「艦砲射撃の食べ残し」と表現しているのです。

「さとうきび畑の唄」の歌詞で「鉄の雨」と表現されているように、

まさに、雨が降り注ぐように鉄砲の弾が飛んできたのでしょう。

そして、たくさんの人が身体中を弾丸を受け亡くなっていった…。

想像しただけで心が痛む歌詞です。

消えない少女の悲しみ、いまだ癒やされない遺族の心の傷

後半は、いるはずもない父親の面影を探してさとうきび畑の来た少女の、悲しく切ない思いが歌われています。

”お父さんどこにいるの”

”このまま緑の波におぼれてしまいそう”

”風に涙はかわいても この悲しみは消えない”

どこを探してもいるはずはないのに、どうしても諦めきれない気持ちがとてもよく伝わってきます。

戦争に限らず、大切な人を亡くした経験がある人なら、

亡くなった人に会いたくて会いたくてたまらない気持ちは、とても共感できるのではないでしょうか?

歌詞に出てくる”緑の波”は、”悲しみの波”と置きかえることもできます。

悲しい気持ちに胸が押しつぶされてしまいそうな少女の気持ち、個人的にすごく共感。

私が聞いていてとても切なくなる歌詞が、もう一つあります。

それは「風が通り抜けるだけ」という歌詞。

どんなにお父さんを呼んでも、答えは返ってこず、ただただ風が通り抜けていく。

少女の心にぽっかりと空いた穴、永遠に癒されることのない寂しさが感じられます。

少女の、父を失った悲しみ。

これはまさに、沖縄戦に巻き込まれた人々の心の痛みです。

そしてその心の傷は、今なお、癒やされていません。

寺島さんが沖縄を訪れた1964年から、2026年現在、60年以上の歳月が流れました。

しかし、沖縄では今でも戦没者の遺骨を発掘する作業が行われています。

つまり、まだ愛する家族の遺骨が帰ってきていない人たちが大勢いるということです。

これではいつまで経っても、愛する人の死を受け入れられないし、

怒りや悲しみが癒やされなくても当然だと思います。

 

「さとうきび畑の唄」が歌詞の意味 込められた想い

寺島さんが最初に沖縄を訪れ、さとうきび畑の下に眠る戦没者のことを聞いた時、

「打ちのめされた」ような気持ちを味わったといいます。

寺島さんは、何故、そのような気持ちになったのか?

これは私の想像でしかありませんが、

沖縄戦のことを何も知らなかった自分に対して悔しい気持ちだったのかもしれませんし、

戦後20年も経っているのに、いまだに戦没者の遺骨がそのままになっているという現状、

それに対して何もできない無力感を味わったのかもしれません。

だからこそ、音楽家である自分にできることは歌を作ること。

そういう気持ちで、この歌を作ったのではないでしょうか?

”沖縄戦のことをもっと知らなくてはいけない”

”沖縄戦で亡くなった人々のことを忘れてはいけない”

そういう想いが、「さとうきび畑の唄」の歌詞には込められていると個人的には感じます。

1967年に発表以来、森山良子さんをはじめ、

ちあきなおみさんや夏川りみさん、新垣勉さんや宮沢和史さんなど、

数え切れないくらい多くのアーティストによって歌われてきた「さとうきび畑の唄」。

沖縄では、6月23日は「慰霊の日」に「さとうきび畑の唄」を

フルコーラス(全11コーラス、10分以上)で流すことを恒例にしているラジオ局もあります。

※1975年と1997年にNHK「みんなの歌」で流れた時も、曲の一部しか流されることはありませんでした。

寺島さんはすでに他界されていますが、寺島さんがこの曲に込めた沖縄戦に対する想いは、

今なお、脈々と受け継がれていると感じます。

まとめ

以上、「さとうきび畑の唄」について、ざわわという歌詞の意味や作者の想いについてご紹介しました。

最後に、「さとうきび畑の唄」の歌碑をご紹介します。

この歌碑は、この楽曲に感銘を受けた全国、約700人の人々から寄せられた寄付金で建立されました。

歌碑がある場所は、最初にアメリカ軍が上陸したとされる沖縄県中部の村、読谷村です。

歌碑の横には、寺島さんの次女でソプラノ歌手の寺島夕紗子さんが歌っているバージョンと、

森山良子さんが歌っているバージョンが聞けるメロディボックスが設置されています。

私は実際にこの場所に足を運びましたが、周りはさとうきび畑に囲まれ、海からは風が吹いてくる。

とても静かな場所です。

一見、何事もなかったかのように見える景色。

だからこそ、余計に戦争の記憶を絶対に風化させてはいけないのです。

これからもたくさんの人が、この楽曲を聴く機会があることを願ってやみません。

「さとうきび畑の唄」は、歌詞をもとにドラマ化もされています。

ドラマをみれば、この楽曲に歌われている少女の悲しみや寂しさを実感でき、

この曲の奥深さが改めて感じられでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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