さとうきび畑の唄 「ざわわ」の意味、歌詞は実話?歌詞の内容や誕生したいきさつなど徹底解説!

沖縄の歴史

6月23日は、沖縄で「慰霊の日」と呼ばれていることをご存知ですか?

第二次世界大戦中、沖縄で繰り広げられた組織的戦闘が終結したとされ、戦没者の霊を慰める日として制定されました。

この日、沖縄では平和への願いと鎮魂の祈りを捧げるため、県民の多くが平和祈念公園に足を運びます。

また「FM沖縄」では、慰霊の日に「さとうきび畑の唄」をフルコーラスで流すのも恒例です。

全11コーラスというとても長い曲ですが、慰霊の日は特別に時間をさいているそうです。

この記事では、楽曲「さとうきび畑の唄」について、

「ざわわ」というフレーズの意味や歌詞の内容、歌が誕生した経緯など、徹底解説しています。

ぜひ、最後までお読みください。

 

さとうきび畑の唄 「ざわわ」とはどういう意味?

”ざわわ ざわわ ざわわ”

このとても印象的なフレーズで始まる楽曲「さとうきび畑の唄」。

一度聞いただけで、心に残る歌い出しですよね。

「ざわわ」というフレーズは、大きく実ったさとうきびが風に吹かれて優しく揺れる音を表現しています。

さとうきび畑の景色がありありと浮かんでくるようです。

この「ざわわ」という言葉。

実はもう一つ、意味があります。

それは、沖縄戦で命を落とした人々の悲しい、そして静かな叫びです。

あとで詳しく紹介しますが、「さとうきび畑の唄」を作詞作曲した寺島尚彦さんは、

さとうきび畑を吹き抜ける風の音が、戦没者の泣いている声のように聞こえたと言います。

つまり、「ざわわ」と言うフレーズは、風の音と死者の咽び泣く声の両方を表現しているわけです。

寺島さんは、この言葉を編み出すまでに実に2年近くも試行錯誤されたそうです。

平和を強く願う寺島さんの想いが、聞く人の耳にいつまでも残るような印象深いフレーズを生み出させたのかもしれない。

私はそう感じます。

さとうきび畑の唄 楽曲は実話がもとに作られたのか?

「さとうきび畑の唄」は、戦争で亡くなってしまった父を恋しく思う少女の心情を歌った唄。

この少女は、実在した特定の人物というわけではありません。

しかしこの唄の歌詞と同じような体験をした人は、実際にたくさんいるのではないでしょうか。

沖縄に限らず、世界中の各地で、戦争に巻き込まれ愛する家族を突然、失った人たちが…。

「さとうきび畑の唄」が、たくさんのアーティストによって歌い継がれているのも、

多くの人の共感を集めたからにほかならないと思います。

次に、歌詞をご紹介します。

さとうきび畑の唄 歌詞

「さとうきび畑の唄」は、ルバージョンで流すと10分以上の長い曲です。

歌詞は全部で11コーラス。

そのため、ここに全歌詞を掲載することはしません。

この歌詞に出てくる少女の父は、彼女が生まれてくる前に戦争で亡くなりました。

だから、少女は父の顔を一度も見たことがない。

ですが、父に会いたくて、父が恋しくて父を探して、さとうきび畑に来たのです。

前半は、夏の日差しの中で、青々と実ったさとうきびが風に揺られている光景で、

どこかのどかな感じさえします。

しかしだからこそ、それとは対照的な少女の心情が深く印象づけられます。

「海の向こうから戦がやってきて、お父さんは鉄の雨に打たれて死んでいった」

「”お父さん”と呼んでみたい」

「お父さん、どこにいるの?」

そういった歌詞が後に続きます。

どこを探してもいるはずがない父。

だけど、父の死を受け入れられず、どうしても諦めきれない。

そんな少女の心情が、とてもよく伝わってくる歌詞です。

誰もいない静かなさとうきび畑に、「おとうさーん」と少女の悲痛な叫び声が響き渡る…。

戦争を体験していない私でさえ、この歌を聴くと毎回、涙が止まらなくなります。

私がこの歌を聴いていて、涙が込み上げてくるフレーズがあります。

それは「風が通り抜けるだけ」という歌詞。

どんなにお父さんを呼んでも、答えは返ってこず、ただ風が通り抜けていく。

少女の心にぽっかりと空いた穴、永遠に癒されることのない寂しさ、せつなさが、私には感じられるのです。

子供達に、こんなに悲しく辛い思いをさせる戦争。

もう2度と、起こしてはいけない。

心からそう感じさせる歌です。

この曲をまだ聞いたことがないという方は、ぜひ一度、聞いてみてください。

大切な誰かのことをきっと思い出させてくれると思います。

 

「さとうきび畑の唄」が誕生した経緯

この歌を作ったのは東京都出身の音楽家、寺島尚彦氏(1930 – 2004)。

1964年、寺島さんが34歳の時に沖縄を訪れた際、終戦して20年も経っているのに、

戦争の跡が色濃く残っている沖縄の風景に衝撃を受けたと言います。

さらに、地元の人から「今、あなたが立っているさとうきび畑の下には、

戦争で亡くなった人たちの骨がいまだに埋まっている」と聞かされた時には、

目の前の色鮮やかな景色が一瞬にして、白黒写真のようになったと言います。

その時、寺島さんは平和への願いと戦争で亡くなった方々への鎮魂歌を作ろう、と決意したのです。

「さとうきび畑の唄」は、1967年に誕生しました。

寺島さん自身、第二次世界大戦中は10代の多感な少年。

ご自身も戦争を知らない世代ではありませんが、やはり、戦争が終わって20年経っても、

まだ遺骨がそのままになっていると言うのは大変な驚きだったのでしょう。

寺島さんが沖縄を訪れた1964年から、2026年現在、60年以上の歳月が流れました。

しかし、沖縄では今でも戦没者の遺骨を発掘する作業が行われています。

そのことをご存知でしたか?

遺骨が眠っているのは、さとうきび畑だけではありません。

地上戦の最中、多くの人が身を隠していた「ガマ」と言われる洞窟のような場所。

ここでも、たくさんの方々が亡くなられました。

そして、彼らの遺骨は今なお発見されないまま、家族の元に戻れる日を待ち侘びているのです。

家族が永遠に引き裂かれてしまう悲劇。

寺島さんが「さとうきび畑の唄」に込めた平和への願いも虚しく、今もなお戦争が繰り返されています。

一人でも多くの人に、「さとうきび畑の唄」を聴いてほしいと願ってやみません。

 

まとめ

以上、「さとうきび畑の唄」について、歌詞の内容や意味についてご紹介しました。

最後に、「さとうきび畑の唄」の歌碑をご紹介します。

この歌碑は、この楽曲に感銘を受けた全国、約700人の人々から寄せられた寄付金で建立されました。

歌碑がある場所は、最初にアメリカ軍が上陸したとされる沖縄県中部の村、読谷村です。

歌碑の横には、寺島さんの次女でソプラノ歌手の寺島夕紗子さんが歌っているバージョンと、

森山良子さんが歌っているバージョンが聞けるメロディボックスが設置されています。

私は実際にこの場所に足を運びましたが、周りはさとうきび畑に囲まれ、海から寄せてくる風が吹いていました。

歌を聴きながら景色を眺めていると、戦争の記憶を絶対に風化させてはいけない。

改めて、そう感じさせられました。

「さとうきび畑の唄」は、歌詞をもとにドラマ化もされています。

ドラマをみれば、この楽曲に歌われている少女の悲しみや寂しさ、戦争の悲惨さが実感できると思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

さとうきび畑の唄 さんま 死因 本当に上官に銃殺されたのか?何故?他の家族はどうなった?
ドラマ「さとうきび畑の唄」は第2次世界大戦中の沖縄が舞台のドラマです。家族をこよなく愛し、人を笑顔にすることに喜びを感じていた父、平山幸一。やがて幸一は徴兵され、壮絶な死を遂げます。幸せだった家族が戦争に巻き込まれ、大切な人や命が奪われてい...
さとうきび畑の唄 さんまの名セリフの数々 「こんなことするために生まれてきたんやない」
沖縄戦をテーマにした、明石家さんま主演のドラマ「さとうきび畑の唄」。平和の大切さ、命の尊さをテーマにしたこのドラマは、2003年に放送され、平成15年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞、第9回アジア·テレビジョン·アワード、ドラマ部門最優秀賞、第...

コメント

タイトルとURLをコピーしました