かつてはお笑いタレント、リアクション芸人として数多くのバラエティ番組に出演し、
近年では怪談界の大御所として、多くの怪談師から師と仰がれる稲川淳二さん。
優しい語り口調と温かみのある人柄は、芸能界でも評判です。
そんな稲川さんには息子さんが二人いますが、
26歳という若さで、次男さんを亡くしていたことをご存知でしょうか?
この記事では、稲川淳二さんの息子さんの死因、
息子さんが生まれながら抱えていた難病、
息子さんへの思いから生まれた現在の活動などについてまとめています。
ぜひ最後までお読みください。
稲川淳二 次男 26歳の若さで亡くなっていた!
稲川淳二さんは、1977年に元モデルの尚子夫人と結婚。
二人の子供さんをもうけています。
長男の貴洋(たかひろ)さんは1977年生まれ。
次男の由輝(ゆうき)さんが1986年に誕生。
私は稲川さんがプライベートの話をするイメージはあまりなくて、
息子さんが二人もいたとは知りませんでした。
しかも長男の貴洋さんは、現在、俳優として活躍されています。
以前、ダイドーブレンドコーヒーのCMで、新庄剛志さんとも共演しているのだとか。
お写真を拝見しましたが、稲川さんの息子さんにしてはかなり若く見える!
そしてハンサムです。
稲川さんも若い頃はかなり男前ですから、納得です。
一方、次男の由輝さんは、残念ながら2013年4月に亡くなっています。
享年、26歳でした。
稲川さんが怪談師として大成功をおさめられたのは、単に話が怖いからというだけでなく、
亡くなった人に対する優しさや哀愁が感じられるからだと私は思います。
次男さんを亡くす、という悲しい体験をされているからなのかもしれませんね。
稲川淳二 次男 死因は?
稲川淳二さんの次男、由輝さんの直接の死因は不明です。
ですが、生まれながらにして「クルーゾン病」という難病を抱えていました。
頭蓋骨が変形するというこの難病。
由輝さんの場合は特に重症で、呼吸障がい、言語障がい、視覚・聴覚・知能にも障がいがあったと言います。
この難病を抱えて生まれる人は、一般的に短命と言われています。
「中学生くらいまでしか生きられない」というのが医者の見解。
しかし、由輝さんは26歳まで生きました。
次男の突然の訃報
稲川さんは、1990年、つまり由輝さんが4歳の頃、奥さんと別居しています。
妻の尚子さんが突然家を出て行ってしまったようです。
奥さんの住所を知らされなかった稲川さんは、その後、難病を抱える次男さんと
会うことも叶いませんでした。
そして次男、由輝さんと再会したのは、病院の霊安室。
長男の貴洋さんが、由輝さんが亡くなったことを知らせてくれたのです。
自分より先に子供を亡くすというだけでもとても辛いことなのに、
稲川さんは息子さんが亡くなったことをある日突然、知らされたのです。
どれほど辛かったことか、想像もつきません。
私も両親をすでに亡くしていますが、亡くなるまで傍にいた私ですら、
あれこれ後悔が残り悲しみがいまだに癒えません。
それを考えると、稲川さんの後悔や悲しみはいかばかりかと、本当に心が痛みます。
稲川淳二 次男の難病とは?
稲川さんは当初、次男さんが障がい児であることを到底、受け入れられなかったと言います。
頭蓋骨が変形してしまうという難病であったため、
生後4ヶ月で手術を受けなくてはいけなかった次男、由輝さん。
「どうせ長く生きられないなら、いっそ手術が失敗して死んでくれたらいいのに…」
そんな考えが頭をよぎった、と稲川さんはさまざまなインタビューで答えています。
そんなことを包み隠さず話す稲川さんは、やはり誠実な人なんだろうと私は思います。
手術が終わり、からだ中、包帯だらけでベッドに横たわる次男さんを見た時、
小さな体で一生懸命生きようとしている姿に、おもわず自責の念に襲われたそうです。
「由輝!」と初めて次男さんの名前を呼んだ稲川さん。
生後4ヶ月で初めて、次男さんの名前を呼んだのですね。
稲川さんが、息子さんが障がいを持って生まれてきたことに大きなショックを受け、
彼の存在自体を受け入れられずにいたかが、このエピソードを通して伝わってきます。
妻に次男さんの世話を押し付けていた?
成長に合わせて何度も手術しなくてはいけなかったという次男、由輝さん。
お笑いタレント、リアクション芸人として、
テレビやラジの仕事で多忙を極めていた稲川さんに代わって
奥さんの尚子さんは付きっきりで由輝さんのお世話をしていました。
そして数年後、奥さんは突然、家から出て行ったと言います。
それ以来、稲川さん夫妻は現在も別居生活を続けています。
この話を聞くと、家庭を顧みない稲川さんに愛想を尽かした奥さんが、
家を出て行ったように考えられなくもないです。
しかし、果たしてそうだったのでしょうか?
もちろん真相は分かりませんが、ある雑誌(CAHNTO WEB)のインタビューで
“女房ががっちり面倒を見ていたから私は入り込めなかったです”
“とにかく稼がなきゃ…仕事がなかったら子供を助けられませんから”
と語っています。
私はこの記事を読んだ時に、稲川さんは息子さんの世話を奥さんに押し付けて、
自分は仕事に”かまけていた”わけではなかったかも、と思いました。
最初こそ、障がいを受け入れられず、由輝さんの名前すら呼ばなかった稲川さんですが、
奥さんがしっかり次男さんの面倒を見るなら、
「自分は息子が必要な医療を受けられるようにしっかり働いて稼ごう」
そう思ったのかも知れない、というのが私の見解です。
とは言え、妻の尚子さんがたった一人で障がいのある次男さんを
世話するのはとても大変だったと思います。
しかし稲川さんは「一番苦労したのは、まぎれもなく本人です」と語っています。
稲川さんのこの言葉は、難病を抱えながらも26歳まで生きた由輝さんに、
とことん寄り添った言葉だと私は思いました。
稲川淳二 亡くなった次男への想い 現在の活動へ
現在、稲川さんは障がい者を支援するための講演活動や
”パラアーティスト(障害を抱えるアーティスト)”のための『稲川芸術祭』を開催しています。
由輝さんから「いらない命なんて一つもない」ということを教えてもらったという稲川さん。
「自分も何かしなくては」という思いで、障がい者支援の活動をしているそうです。
怪談以外にもこんな素晴らしい活動をしているとは、私は全く知りませんでした。
パラアーティストの方々が活躍できる芸術祭を開催するという稲川さんの発想は、
怪談師がスポットライトを浴びることができる「怪談グランプリ」など、
稲川さんが関わる怪談イベントや番組にも通じるところがあると、個人的には感じます。
<稲川淳二 プロフィール>
本名: 稲川 良彦(いながわ よしひこ)
誕生日: 1947年8月21日生まれ(2026年8月現在、79歳)
職業: 怪談師、工業デザイナー
経歴:
1976年、その話術を認められ「オールナイトニッポン」ラジオパーソナリティとなる。
1980年代、リアクション芸人として、様々なバラエティ番組に出演。
ラジオで語った怪談が評判となり、その後、CDやビデオ、書籍など多数発売。
恒例となった『稲川淳二の怪談ナイト』は2026年現在、34年目を迎える。
まとめ
この記事では稲川淳二さんの次男、稲川由輝さんについてお伝えしました。
・次男 由輝さんは1986年生まれ
・次男さんは先天性の難病「クルーゾン病」だった
・次男さんは、2013年、26歳の若さで亡くなった
・稲川さんは、次男さんが幼い頃に妻と別居した為、長年、次男さんに会っていなかった
・稲川さんは、次男さんがきちんとした医療を受けられるよう一生懸命働いた
・稲川さんは現在、講演会やパラアーティストの芸術祭開催など障がい者支援活動に従事


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