尚寧王 家系図 第二尚氏王統の系譜と子孫の謎 まとめ

沖縄の歴史

琉球王国第二尚氏王統7代目国王、尚寧王(1564~1620)。

薩摩による『琉球侵攻』という史上最大の国難を背負った王として知られています。

今回は尚寧王の家系図を中心に、複雑な王統の系譜をわかりやすく解説。

尚寧王とはどのような人物だったのか?

尚寧王に子孫はいたのか?

など興味深い謎についても迫ります。

2026年11月放送予定の琉球歴史ドラマ「尚寧」を前に、

予習としてもぜひ読んでみてくださいね。

尚寧王 家系図 第一尚氏と第二尚氏王統について

尚寧王(しょうねいおう 1564~1620)は,

第二尚氏王統7代目国王(在位:1589~1620)です。

ここでまず、琉球国の王統について簡単に紹介しておきます。

第一尚氏王統と第二尚氏王統について

琉球王朝は第一尚氏と第二尚氏という二つの系列に分かれます。

琉球国の戦国時代を統一した尚巴志(しょうはし)

第一尚氏の時代は、琉球を分断していた3つの勢力(南山・中山・北山)が

統一されたことにより始まります。

しかし国内の情勢はまだ不安定で、『阿麻和利・護佐丸の乱(あまわり・ごさまるのらん)』や、

『志魯・布里の乱(しろ・ふりのらん)』など、きな臭い事件が色々と起こりました。

結果、金丸のような王族以外の人間に王位を奪われてしまったと捉えることもできます。

第一尚氏王統は1406年から1469年まで。

初代国王 紹思紹(しょうししょう)

2代目尚巴志(しょうはし)

3代目尚忠(しょうちゅう)

4代目尚思達(しょうしたつ)

5代目尚金福(しょうきんぷく)

6代目尚泰久(しょうたいきゅう)

7代目尚徳(しょうとく)

家臣 金丸(かなまる)のクーデターにより始まる第二尚氏王統

第二尚氏王統は、1469年から1879年まで。

初代国王は、第一尚氏時代、王府に仕えた家臣、金丸が即位します。

つまり金丸(尚円王)は、第一尚氏王統との血縁関係はないということです。

それなのに、あえて「尚」の名を引き継いだ理由に関しては、

別記事にまとめていますので参照ください。

私も最初は、第一尚氏、第二尚氏、という呼び名にかなり混乱させられたものですが、

金丸について調べ理解が深まったことでようやく、頭が整理できました。

さて、第二尚氏は実に410年間も続きました。

第二尚氏王統が始まり、琉球はアジア諸国と盛んに貿易を行い、

海洋国家として豊かさと繁栄を誇る黄金時代に入りました。

しかしその琉球を、『薩摩からの侵攻』という大きな国難が襲います。

その時代を生きたのが、今回の記事のメインテーマである尚寧王、

第二尚氏王統、第7代目国王です。

ですのでここでは、尚寧王までの歴代王を紹介します。

初代国王 尚円(しょうえん)

2代目 尚宣威 (しょうせんい)

3代目 尚真 (しょうしん)

4代目 尚清 (しょうせい)

5代目 尚元 (しょうげん)

6代目 尚永 (しょうえい)

7代目 尚寧 (しょうねい)

ちなみに第二尚氏最後の国王は19代目尚康(しょうたい)。

明治政府による琉球処分で、琉球王国は解体され「沖縄県」となり、

尚泰は東京へ移住させられました。

この時代の頃の琉球国については、NHKのBSドラマ『テンペスト』がすごく参考になります。

小説なのでフィクションですが、琉球の歴史や文化などを学ぶ良いきっかけになるので、

個人的にはお薦めです。

尚寧王 家系は王家の分家

第二尚氏の王家には、いわゆる本家と分家があることをご存知でしょうか?

本家が「首里尚家」、分家は「浦添按司家」です。

尚寧王の先代、6代目国王の尚永は30歳という若さで亡くなり、

世継ぎの息子がいませんでした。

そこで尚永の妹の子供である、尚寧が即位することになりました。

尚寧は「浦添按司家」の出身です。

尚寧王に至るまでの系譜を図にしました。

尚寧王 第二尚氏 家系図

まず、① 尚円。

彼は、第一尚氏に仕えた家臣だったことはすでに紹介しました。

② 尚宣威は、金丸のかなり歳の離れた弟です。

元々、伊是名(いぜな)島出身の2人は、苦労を共にして農民から王府の役人に登り詰めました。

しかし尚円の後妻に当たる宇喜也嘉(おぎやか)という女傑によって、

わずか半年で王の座を奪われてしまいます。

結果、尚宣威は越来で隠居生活。

この宇喜也嘉は、尚寧のお墓に関しても関わってくる人物です。

③ 尚真は先代王を失脚させた母、宇喜也嘉の力で幼くして王に即位。

その後、尚真は尚宣威の三女を妃とします。

尚真が自分の母によって失脚させられた叔父、先代国王の娘を王妃として迎え入れたのは何故か?

個人的には非常に興味をそそられます。

尚真は、王妃との間に尚維衡(しょういこう)という長男を授かります。

本来であれば、尚維衡が4代目国王になるはずですが、彼は廃嫡されてしまいます。

この尚維衡の血筋が、いわゆる分家「浦添按司家」。

尚維衡は、いったんは王位相続の権利を再び与えられたのに、

今度は尚真の側室、華后(かこう)の陰謀によって尚真の怒りをかい、再度廃嫡。

どこの王族もこんな感じなのでしょうか?

宇喜也嘉に次いで、華后。

どちらも我が息子を王にするため、策略を企てたということになります。

結果、側室華后の子である④尚清が即位しました。

尚清の後は長男の⑤尚元が継ぎます。

⑥尚永は、尚元の次男です(長男は側室の子であった為、除外された)。

尚永は30歳の若さでこの世を去りました。

その為、世子がおらず、尚維衝の孫である尚懿(しょうい)と尚永の妹の子である⑦尚寧が即位。

と、このような流れになっています。

なんだか波瀾万丈ですね。

まとめると、初代国王の尚円の息子、③尚真以降、②尚宣威と尚維衝の血縁者は、

王家の分家として排除されてきました。

つまり7代目国王となった尚寧は、分家である浦添按司家の人々からすれば、

”大出世”した人物として称賛の的だったようです。

「浦添グスクの前の碑」には

”浦添より首里に照り上がり”と、尚寧を太陽に例えて浦添から首里に太陽のように登った(昇った)

と記されています。

当時の、親戚演者の人々の喜びがよく伝わってくる表現ですね。

しかし、王となった尚寧は琉球国史上、最大の国難とも言える過酷な運命に見舞われます。

つまり、当時の薩摩藩による『琉球侵攻』、それに続く『首里城の明け渡し』という屈辱。

更に、江戸への強制連行された挙句、その旅の最中、

最も信頼していた弟の具志頭王子を病で失うという悲劇にも見舞われてしまいます。

城を奪われ、見知らぬ土地へ連行され、さらにはそこで大切な弟を亡くしてしまうなんて、

どれほどの心労を味わったことかと思うと、本当に胸が痛みます。

尚寧王 家系図 子孫は?

尚寧王は、先代の国王尚永の娘、阿応理屋恵(アオリヤエ)を妃に迎えています。

つまり尚寧王は、尚永の娘婿でもあったわけですね。

いやはやなんともややこしい。

従兄弟でもあり、娘婿でもある。

昔は、こういった血縁関係者が夫婦となるケースは多かったのかもしれません。

尚寧王と 阿応理屋恵は親子ほども歳が離れていましたが、

とても仲睦まじかったと言われています。

2人の美しい恋物語は琉球オペラ「アオリヤエ」という舞台にもなっているほどです。

しかし2人の間には子供はいなかったと言われています。

尚寧王には実は娘がいた!?

沖永良部の町史に、薩摩が奄美群島から琉球本島へ侵攻してきた際の記録があり、

その中に「薩摩がやってきた時に、国王の娘婿が対応した」という記述が残っているのだそうです。

ということは、尚寧王には娘がいたということでしょうか?

さらに、徳之島にサツマイモが伝わってきた時のことが記されている文献には、

尚寧王が江戸に連行された時、実は身重の阿応理屋恵が同行しており船上で出産した、

という記録が残っているようです。

その後、赤子は地元の民に預けられ、国王一行は旅立った、と。

非常に興味深い話ですが、仮に赤子を地元住民に預けたという話が事実だとしても、

その後、国王夫婦がこの娘を引き取ったという記録は、ありません。

そもそも正史では、阿応理屋恵は尚寧と共に江戸には行かず、琉球に残ったとされています。

”まにしが まねし ふけば

あんじおそいてだの

おうねどまちよる

また おゑちへと おゑちへと ふけば”

「北風が吹けば、その風に乗って王様の船が帰ってくる、と待っています」

という歌が残っているくらいですから、一緒に江戸に行ったとは考えにくいです。

実際のところはどうなのか、今となっては検証するのはそう簡単なことではありません。

しかし尚寧王と阿応理屋恵の血を引く人が、今もどこかで生きている可能性がなきにしもあらず…。

そう考えると、とてもロマンがあります。

本当のところがわからないのは、個人的には非常にもどかしいです!

まとめ

◉ 琉球王朝には第一尚氏と第二尚氏がある。

◉ 第二尚氏初代国王はクーデターにより王の即位したと言われている。

その為、第一尚氏と第二尚氏王族との間に血縁関係にはない。

◉ 尚寧王は第二尚氏7代目国王

◉ 第二尚氏王統の分家「浦添按司家」の出身である

◉ 正史では尚寧王に子供はいなかったとされている

しかし、奄美群島各地の記録には、尚寧王に子がいたことが示唆される記録が残っている。

尚寧王に限ったことではありませんが、

歴史には、「本当はどうだったんだろう?」という疑問を掻き立てられる部分が多く、

もどかしさも感じますが、そこが私たちの心を惹きつけてやまない歴史の魅力でもありますね!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

尚寧王が国王になってからのことについては別の記事でまとめていますので、

是非、こちらもご覧ください。

尚寧王 どんな人? 成し遂げた偉業 薩摩侵攻 首里城明け渡し 徳川将軍謁見 墓についても解説!
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